韓非子(その4)
22.8.13
文責 髙橋
君主は大臣や部下たちだけでなく身内も信頼できない立場である。一人で正しい決断をするために、君主の陥りやすい誤りを自ら理解するとともに、部下の操縦法も間違ってはならない。君主の陥りやすい誤りは十過(じゅっか)として、部下の操縦法の基本は二柄(にへい)として述べられている。ここに書かれている誤りを犯して、総理大臣を辞任することになった人もいる。是非味わっていただきたい。
<本文>
7 君主の陥りやすい誤り(十過:じゅっか)
君主の陥りやすい誤りを、10項目に例を挙げて述べている。気を緩めるな、引き締めよ、慎めと。
① 小さな忠義は、大きな忠義の敵である。
陣中で将軍子反(しはん)は喉が乾いたので部下に水を求めた、すると下僕の穀陽(こくよう)は酒を出して勧めた。子反は「陣中では酒は飲まない」と断ったが、少しぐらいなら良いでしょうと、更に進められると、「少しなら」と口にした。本来酒が嫌いでない子反は、1杯の積りが2杯に、3杯にと杯が重なり、結局は飲み過ぎてしまい、そのことが君主の知れるところとなって、誅せられてしまった。
「故に豎穀陽の酒を進むるは、もって子反に讎(あだ)するにあらず。その心これを忠愛して、たまたまもってこれを殺すに足る。故に曰く、小忠を行なうは、すなわち大忠の賊なり」。
部下や友人が良かれと思って進めることは、気持ちの良い事が多いが、自らの見識を持って自制に務めないと、大きな落とし穴がある。小さな過ちを大勇をもって制し、慣れを恐れて初心に戻らなければならない。
② 欲心が有ると小利に目がくらみ、大本を誤る。
晋公から送られた名玉と名馬が欲しくて、同盟国を裏切った虞公(ぐこう)は、同盟国が滅ぼされた後に、自分も晋公によって滅ぼされてしまった。同盟国を裏切ってまで欲しかった名玉と名馬は、結局は晋公に戻ってしまった。
「故に虞公の兵殆うくして地削られしは何ぞや。小利を愛してその害を慮らざればなり。故に曰く、小利を顧るはすなわち大利の残なり。」
欲心が有ると小利に目がくらみ、大本を誤りやすい。
虚心坦懐、光風霽月、これでこそ是非善悪は明らかである。
③ 諸侯に対する無礼な態度は、身の破滅。
楚の霊王は、諸侯を集めて会合を催し、席上、諸侯を辱めた。臣下のいさめも聞かず、意のままに振る舞った。臣下は諸侯の復讐を恐れた。その後、霊王が出陣して留守中に臣下達に謀反を起こされて、命を落とした。
「故に日く、行僻にしてみずから用い、諸侯に礼無きはすなわち身を亡ぼすの至りなり」。
ワンマンも良いが、その行いに慎みと気品が求められる。傍若無人な行いは部下の信を失い、いずれ身を滅ぼす。
④ 本業を疎かにする趣味や道楽は身を危うくする。
衛の霊公は、天地の神を鎮めるほどの徳もないのに、演奏してはならない淫らな音楽を好んだ。以後、天災・病魔が荒れ狂い、国が苦しんだ。
「故に曰く、治を聴くを務めずして五音を好みて已まざるは、すなわち身を窮するの事なり」。
趣味や教養は人生を豊にするために大切であるが、本業を疎かにすることは、本末転倒である。必ずや、身を、家を、国を傾けることになる。身を慎んで本務に努めなければならない。
⑤ 限りない欲望は破滅の基。
大国であった晋の国が、大臣たちによって分割されるとき、有力者知伯瑤の威勢は最も強く、しかも権力欲に限りはなかった。次に滅ぼさせるのは自分ではないかと恐れた他の有力者の趙・韓・魏は謀って知を滅ぼした。
「故に日く、貪愎にして利を好むは、すなわち国を滅ぼし身を殺すの本なり」。
マキャベリーも言っている。戦争を起こすのは戦争に勝てると考えている国だけではない。滅ぼされそうだと考えている国もそうだと。
⑥ 享楽に耽るは滅亡の基。
秦の穆公は、戎に賢人の由余がいることに心配し、戎王と由余との離間策をとった。由余を秦に呼び長く留め、その留守の間に、戎王に歌い女十六人を送り、王を大いに喜ばした。戎王は政治を疎かにするようになり、由余の忠告も聞かなくなり、結局は国を傾けてしまった。
「故に曰く、女楽に耽り国政を顧みざるは、国を亡ぼすの禍いなり。」。
女が関わって亡びた者や国は数多くあるが、女が悪いのではない、女にうつつを抜かし、問題を起こす男が悪いのだ。とは言いつつ、女災を避けるのは難しい。
⑦ 責任者が居るべき所に居ないと危うい。
斉の田成子は、国を遠く離れた景勝地が気に入り、長く留まろうとした。臣下が「留守の間にもしものことが起きたらどうするのか。」と諫めたので、急いで国に戻ってみると、謀反が計画されていた。危うく難を避けることができた。
「故に曰く、内を離れ遠く遊びて諫士を忽せにするは、すなわち身を危うくするの道なり」。
責任の有る者、居るべき所を離れてはならない。危機管理の鉄則である。ハワイ沖で高校生の乗った船が沈没した時に、ゴルフ場でプレーを続けた総理大臣は、辞任に追い込まれた。
⑧ 忠臣、諫臣の意見には耳を傾けよ。
斉の桓公は管仲の補佐を受け覇者となった。管仲も衰えてきたので、後の補佐役について管仲に意見を聞いた。しかし管仲の死んだ後、管仲の忠告に従わず、彼が反対した者を大臣にした。結局背かれて惨めな最後となった。
「 故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、ひとりその意を行うは、すなわちその高名を滅ぼし、人の笑いとなるの始めなり」。
決断はリーダーの責務である。考える段階では、多くの人の意見を聞くことが、良い知恵の基である。ただ本人の見識が無いと迷いの基ともなる。だからこそ、信頼できる人を選び、傍に置いて、其の人の忠告を真摯に受け止めなければならない。
⑨ 人の力を当てにするだけでは亡びる基
韓が強国秦の攻撃を受けたとき、韓公は楚の援助の約束を信じて、秦との和議の策を斥けて、秦と対決したが、楚の救援は無く敗れてしまった。
「故に曰く、内力を量らず、外諸侯を恃むは、すなわち国削られるの患なり」
個人も国も同じ。他人や他国の力をあてにせず、まず、自助救済である。米軍頼みのみの国防は大丈夫か。
⑩ 力もないのに人を侮り侮辱することは、身をほろぼすもと。
ここでの内容に当てはまる事例はいくつもある。天皇晩さん会での中国首脳の無礼な態度は日中関係に影響した。総理辞任や、社長解任、大臣を棒に振る話など切りがない。
8 臣下をいかに使うか(二柄)
臣下を使う基本は臣下の評価を正しくして、賞罰を適正に行使することである。それでも臣下は騙そうとしてくる。君主は「虚無・無為」をもって、臣下に乗ぜられないようにすれば、臣下は全能を尽くして、仕事をするようになる。こうすれば君主は徳の無いものでも立派に国を治めることができると説く。
(1)臣下統御の基本的な考え方は賞罰をいかに使うかである。
「明主のその臣を導き制する所は、二柄のみ。二柄とは刑と徳なり。」明君は二つの柄を取って臣下を統率する。罰と賞である。君主がこの二つを握っていれば臣下を思いのままに操ることができる。
どの組織も、良き成果を収めるためには、能力のある人間を効率的に運用することであり、健全性の維持と士気高揚のためには適切な賞罰は今も昔も変わらない。
逆に、正しくない賞罰は国の乱れの元となる。
斉の桓公は人気を得るために、倉を開いて貧しい者に施し、罪の軽い囚人の罪を赦した。徳を為したつもりだが、やっていることは、功のない者を賞し、罪を罰しないことである。国が乱れないわけがない。今の政治のばらまき福祉は、斉の桓公の所業である。
(2)二柄の正しい使い方
「人主まさに姦を禁ぜんと欲せば、刑名を審合すとは、言と事となり。」賞罰は刑名参同、則ち、命じたこと或いは自ら申し出たことと、実行したことを比較して評価することである。違うこと無ければ賞し、違えば罰する。譬え謂われたことよりよい成果を上げたとしても、謂ったことと違うので罰する。これが、言と事とを審合する事である。
この評価法をどの様に思いますか。一般的には言った以上の成果であれば良いと思うだろうが、問題がいくつかある。何故、申告した事より多くできたのか。そのことは褒められることなのか。悪意にとれば、達成できないことを恐れてあえて少なく申告したなど、いろいろと思い浮かぶが、善意にとっても、結果の見通しが立てられなかった、その程度の人との評価になる。組織としても事業計画への影響が大きい。今、企業では自己申告制でポストや給与を定める方向に向かいつつある。堂々と己を主張し、全力を尽くすべきである。
次のような場合には賞罰は如何にしたらよいのであろうか。或事態が生じて、法に触れるような明らかに違反する行為を行ったが、その結果として大きな功績を挙げることとなった。このものを賞すべきか、罰するべきか。過去に実例がある。石原完爾は満州事変を起こし、結果が良かったので、軍令違反であったがこれを賞することとなった。後に、軍人が法を軽視して勝手な行動を取るようになった。
「賞すること、罰すること」、やさしいようで実は判断が難しい。皆さんなら賞罰を正しく行えますか。
(3)部下のおべっかを避ける
臣下を正しく評価し上手に使うためには、臣下には地を出させ、君主は、本心を隠し臣下に付け入る隙を与えないことが重要である。「君臣利害を異にする。」との認識である。
そのためには人主は好き嫌いを表に出さないことである。ここは老子の「虚無・無為」を臣下を統御する術として応用している。
「好を去り、悪を去って、群臣、素を見わす。群臣、素を見わさば、人君蔽われず。」温情主義はもってのほか。君臣の騙しあいであると言う。
実際、上に立つ者が好き嫌いを表すと、人は善意からも、悪意からも上司の好むことをする。好むことをされたら悪い気持がしない。評価も甘くなる。だから、上に立つ者としては、好むところを表してはいけない。
これは真理である。