韓非子(その1)
22.7.7
文責 髙橋
<解説>
人間の本質を学ぶ書として、ある意味で東洋の韓非子(かんびし)、西洋のマキャベリは必読の書である。
韓非は前三世紀の初め、中国の戦国時代、韓王の庶公子として生まれる。韓非の思想の核心は「法術(ほうじゅつ)」である。秦の始皇帝(しこうてい)に呼ばれて、自説である「法術」を説くが、秦の大臣である李斯(りし)の計により囚われ、獄中で毒を飲む。前233年のことである。この韓非の残した書が韓非子である。
韓非子は、私の嫌いな書の代表である。荀子(じゅんし)の性悪説を更に人間不信までに押し進めて述べたものが韓非子である。人間性の善を信じ、誠の人であって始めて人に信頼されて大事をなすことができると確信している私としては、毒を含む韓非子は異端の書としてきた。
あえて韓非子を学ぶのも、韓非子の考えを以て我を致そうとする者から身を守るためであり、この考えを積極的に取り入れるためではなかった。
韓非子の考えを実践して戦国時代を制し、一旦は大帝国を築いた秦帝国が短命に終わったのも、この説が正しいはずがないことの証左であろうと考えていた。
しかしながら、「孔明泣いて馬謖(ばしょく)を斬る。」が韓非子の応用であるとの説を読んで、今までの固定した見方を少し変えてみようかと、読み直してみることにした。
韓非子は今から二千二百年以上も昔の、中国の戦国時代末期に書かれている。
韓非子の思想は法家である。法家は覇者の思想として用いられ多くの強国を育ててきた。その説くところは、国家運営の基本を、儒家の説く礼よりも、法に置くものである。法を明らかにし、信賞必罰を行ってこそ、社会の秩序は守ることができると説いた。更に、韓非子は法を実践するための方法として術を強調している。韓非子の書は「法」と「術」の書である。
その後、多くの覇者や幕賓がこれを活用して治世の実をあげている。また、近代国家が法家の主張する法治国家であることからも、真剣な研究が必要な気もする。
また、韓非子の時代は、子が親を、親が子を殺すことで、自分の身を守ることが行われていた時代であった。昨今の日本のニュースを見るに、人間不信の深さは韓非子の時代に似ていなくもない
ここで、私は韓非子を「人間不信」とまでは考えなくても、「人間は善である、が。」の視点で、ある一面で当たっている、韓非子が見た人間の本質を読んでいきたいと思う。
本文の記述の順序は次の通りに考えている。途中で変わったらごめん。
(その1)では
1 韓非子の主張
2 法の有用性
(その2)で
3 君主の周りの害虫
4 害虫の駆除は法術の人
(その3)で
5 説くことの難しさ
6 信じると人に制せられる
(その4)で
7 君主の陥りやすい誤り
8 臣下をいかに使うか
(その5)で
9 臣下操縦術
10 故事名言
それでは韓非子を読んでいこう。
<本文>
1 韓非子の主張
韓非子は人間を次の様に捉えている。人間とはずる賢く、隙があれば人を騙して己の利益を得ようとするものだ。大臣やその他の臣下も同じで、みんなして君主を騙そうとしている。こうした人間を治めるためには、儒家の主張する「礼」に依っては困難であり、何をすべきかを「法」によって明らかにし、此を全ての人間に守らせることで社会の秩序が維持できる。守らせるためには違反者全てを厳しく罰することで、これには身分の尊卑で例外を設けない。こうすれば、君主は別に徳の高い人でなくても国を立派に治めることができる。当時、高貴な者は刑を受けないとされていた。これでは不正はなくならない。
法をもって国を治めるためには、法術の人を重く用いなければならない。是がなかなか難しい。君主の周りには国を亡ぼす害虫が居て、法術の人の登用を妨害している。また、法術を君主に説く機会が持てたとしても、君主に意見を述べることは命がけであり、また、信頼されなければ政策の実行は困難である。
君主の立場に立てば、臣下の誰が有用で、だれに国政を任せることができるかを見抜けなければならない。しかしながら、たとえ有用な者でも、本気で信頼してはならない。信頼は地位を失う基である。大臣は勿論信用できない。妻や子供さえも自分の命を狙っていると考えよ。事実、王侯貴族の家では跡目を巡って、妻や子によって殺される例が数え切れないほど有った。
国の発展のためには、君主が間違いを犯さず、治世の実を挙げることである。君主は、自らが犯しがちな誤りを理解して、誤り無きようにするとともに、有能な臣下を手足の如く用いることである。
では、臣下を手足の如く使うにはどうするか。賞と罰とである。君主は自らがこれを行い、決してこの権限を人に与えてはならない。次に、賞と罰を適切に与えるための臣下の評価はどうするか。これは定められた通りに実行したかどうかで決める。定められた通りにできていないのは勿論罰し、定められているよりも上手にできた者、やりすぎた者もこれを罰す。
このようにしても、臣下は君主を騙そうとする。臣下に騙されないようにするために、君主は自らの意思を臣下に見せてはならない。好き嫌いを現すと臣下に乗ぜられる。「虚無・無為」にしてはじめて臣下を見極めることができる。また、わざと臣下を試す等の臣下操縦法も必要である。
以上が韓非子の主な主張である。王権を強化して国を富ませ、覇者になろうとしている始皇帝は韓非子の主張に感動した。
韓非子がいう「法を定めて、信賞必罰する」などは、当然すぎるほど当たり前ではないかと考えがちだが、儒家の影響の強かった当時としては斬新で過激な主張であった。秦という国であって初めて受け入れられる主張であったろう。また今の日本の犯罪に対する厳罰化の流れも、韓非子の思想の延長線上にある。韓非子は古くて新しい主張といえる。
えげつない内容もあるが、以下、ポイントを述べる。
2 法の有用性
儒家が言っているように、古の聖人が仁義をもって国を治めて成功していたとしても、時代が変わり状況が変化したら、それに適応する方法で国を治めなければならない。人間の本質は自己中心的で利を貪るところにある。こうした人間を治めるためには、法を明らかにして、賞罰を適正に行うことで始めて社会の秩序が保たれる。仁義や愛で統治はできないと説く。以下、具体的な話で正当性を主張していく。
(1)堯(ぎょう)・舜(しゅん)ともに聖人とすることは矛盾である。
儒家が言っている伝説上の聖人、堯・舜を持ち出して仁義や愛による政治を非難する。「古の聖人舜は、仁をなして国中の争い事を収めた。堯は位を舜に譲った。そうであるのに堯も聖人とするのは可笑しい。舜が仁を為しているときに堯は天子の位にあったのに、何をしていたのであろうか。
むかし、どのような矛に突かれても破れないという盾と、どのような盾をも破るという矛を自慢しながら売っていた商人がいた。客がその矛でその盾を突いたらどうなるのかと問いただすと、商人は答えに窮したという。どんな盾をも突き抜く矛と、どんな矛をも防ぐ盾の話を矛盾という。同じように堯・舜共に聖人とすることも矛盾である。
また、舜は過ちを正すに自ら赴いて行ったと、儒家はほめたたえるが、個人の力は有限である。世の中の無限の誤りを正すには、舜の力だけでは不可能だ。法に依らなければ、世の中の誤りを正すことはできない。」
これは色々なところで引き合いに出されている矛盾の出典である。なるほどと思う。
ただし、儒家は聖人一人で世を正すなどと主張してはいない。韓非子の詭弁である。儒者の主張の一面だけを取り上げて、弱点を批判する手法であるが、議論で勝つための参考ともなる。
ただし、政治に対する韓非子の主張は正しい。政治とは困っている個人に仁を為すことではなく、根本の制度を整えて、万民を助けることである。
政治の喩えとしてよく言われていることであるが、川を渡るのに困っている人を見て、渡るのを助けることは親切、橋を架けるのが政治であると。
韓非子なら、財政逼迫のなか、お金をばらまくことを政治とは決して言わない。
(2)守株はおろかなこと。時代が変われば制度は変えるもの。
「儒家が主張する「仁義」の政治は誤りである。儒家がいう、先王(せんおう:昔の優れた王のこと)の政をもって当世の民を治めんと欲するは、みな守株(しゅしゅ:ウサギが切り株にぶつかって、捕まえることができた農民が、畑を耕さないでいつも切り株を見守っている話)の類なり。」(童謡・待ちぼうけのテーマ)
「古の聖人が行った尊い行いは、その時代に貴ばれたものであっても、時代が変われば、今にあった方法に変えていくものである。
生活様式も文明も時代と共に変わってきた、政治も規模が大きくなり複雑になってきた。当然、対処の仕方も変わるのである。これを、事は世に因り、備えは事に適うという。」
儒家に対する批判はさらに続く。「儒家のいう仁義を用いて国失った王は何人もいるではないか。確かに古の周王朝を開いた文王は仁義を用いて天下に王たることができたが、徐(じょ)の偃王(えんおう)は仁義を用いたが楚(そ)に滅ぼされ、周公旦(しゅうこうたん)の国である魯(ろ)は、敵対する楚に孔子の弟子を派遣して仁義を説いたが聞き入れられず、領土を削られた。これは仁義は古に用いられたが、今では用いられない。だから、世が異なれば、政治も異なる。また、政治が異なれば、準備するところも変える必要がある。仁義では国を治める事ができない。人は義に従うのではなく、威勢に靡くのである。したがって、名主の道は法を一にして、聖人君子といわれる者の智をあえて求めず、術を固くして、あてにならない信などに期待をしない。」
(3)泣いて罪人を殺すことは仁ではない。
昔の聖人は、死刑の判決が出ると涙を流して人民への愛を示したと言うが、今の時代にそんなことで政治ができるのか。
法によって刑を行ない、人がこれのために涕を流すのは、仁を表すことではあるが、政治とはいえない。泣を垂れて刑を執行しないならば仁であるが、刑を執行したならばそれは法を行ったことである。仁に篤いといわれている先王(周王朝の文・武王のこと)も、死刑を行っている。これはすなわち法を優先したのである。泣いて刑の執行を止めたとは聞いていない。すなわち儒家のいう先王でさえも、仁によって政治を行ったのではないことは明らかである。
ここでの主張は、韓非子にとって、涙は人民の心を捉え、仁者との評判を得るためのパフォーマンスぐらいにしか考えていないのか。
諸葛孔明、泣いて馬謖を斬る。これはまさしく韓非子の実践である。
(楚の2)につづく

