殺人刀(せつにんとう) その1
21.12.5
文責 髙橋
1 概要
前回述べたように、殺人刀は活人剣とともに、新陰流の祖上泉伊勢守が立てた習以外に、石舟斎宗厳、宗矩父子が工夫創案した習(ならい)の外の別伝である。新陰流の技法及び心法上の理論的体系を詳述したもので、まさしく「兵法家伝書」の名にふさわしいものである。両巻の名前について、石舟斎は、「当流に構太刀を皆殺人刀といい、構の無き所をいずれも皆活人剣という。また構太刀を残らず裁断して除け、無き所を持ちゆるにより、活人剣という」と述べている。また、宗矩自身は殺人刀の巻の序で、「一人の悪を殺して万人を生かす。これら誠に、人を殺す刀は、人を生かすつるぎなるべきにや」とのべ、乱れた世を治めるためには殺人刀を用い、すでに治まった後は、殺人刀は即ち活人剣として生かしていくと、戦乱の世から平和な時代になっても、武士には剣道修業が必要であることを説いている。
また、1対1の剣術修行(小さき兵法)が、いくさにおいても、家臣の掌握(大なる兵法)のためにも有効であるとし、剣道理論が組織の運営・管理にも有用であることを主張したことから、諸大名からも支持されている。
以下、読みやすくするため、項目を起こして読んでいく。
2 内容
(1)項目
ア 序
イ 道を究める
ウ 気と志
エ 表裏
オ 懸待一如
カ 三ヶ心持ちのこと
キ 色に就き色に随う
ク 二目遣い(ふたつめつかい)
(「打ちにうたれよ、うたれて勝つ心持ち」から「病気の事」までは、「その2」で読む。)
ケ 打ちにうたれよ、うたれて勝つ心持ち
コ 三拍子
サ 大拍子、小拍子
シ 師匠と立ちあいて習い口伝せずば、なるまじき条々、6ヶ条
ス 師匠と立ちあいて習い口伝せずば、なるまじき条々、4ヶ条
セ 風水の音をきく事
ソ 病気の事
(2)内容の要点
ア 序
・「兵は不祥の器」といって、天の嫌うところであるが、やむを得ない時にこれを用いるのは天の道理に適っている。物の十成(じゅうじょう)するところを、打つ理(ことわり)というものがある。やむにやまれず極まったところをうつは、天道である。一人の悪が万人を苦しめているとき、一人の悪を殺して万人を生かす。これこそ、人を殺す刀は、人を生かす剣となろう。このように、「兵は不祥の器」と認めつつも、正しく使うならば天道に適うと、剣の意義を表明している。
・兵を用いるには法というものがあって、一対一の立ちあいも、合戦で勝ちを得るも同じ理であると述べ、そのポイントは、あらかじめ相手の胸の内を見極め、機を見て、勝つべくして勝つことであるという。
・見極めることを「手字種裏剣(しゅじしゅりけん)の有無を見る」という。また、機を見るということは、「手字種裏剣」より大切であり、人との交わりも、諸道においても機を見なければ成り立たないものである。ここでの機は気、即ち、心の働きのことをいっている。
・「兵法は人をきるとばかりおもうは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。」ここでの悪は単なる悪人を言うのではなく、自分の心に生じる悪をも含むと考える。
・家伝書は門外不出の秘書として書いた。秘伝というのは隠すためではない。道統の純粋さを守り、真に伝えるにたる人物にこれを伝えたいためであると書かれている。柳生新陰流は一子相伝というより柳生家相伝であろう。ただし、宗矩と交流のあった細川家、鍋島家にも「兵法家伝書」が伝えられ、今も残されている。
イ 道を究める
・初学の門より入って百手習って稽古を積むのは理を極めるためである。知をつくし、道理を極めると、こころに不審が消えてゆく。さらに習いを積んでいくと、習いを忘れて自在の境地になれる。習いを忘れ、心を捨てきって、自然の内に道に適うことを、極意向上、道の至極という。
・習いから入って、習い無きに至るこの過程は、殺人刀から活人剣への深化と重なって見える。
ウ 気(き)と志(こころざし)
・腹の内にある思いは志、外に発するものを気という。志が主人で気は手足である。気を押さえきれずに暴走させたら失敗する。兵法においては下作(心を納めるところ。へそより下)によくかためたるを志という。立会において気を懸懸(けんけん…掛かろう掛かろうとばかりで落ち着かない様)のままにしてはならない。下作(したつくり)にしっかり納め、気に志を引きずられない様にして、しずまることが簡要である。
・家伝書では、「志」と「気」の様に本体とそれから発するはたらきについて、色々な表現で後々出てくる。万物には、そのものの内に「神」が在って、外に「妙」が顕れると、木に花が咲く喩えで表している。また、「大機大用(だいきだいゆう)、疾きこと風の如し」と禅語を引用する。「機」は「気」で心のはたらきを、用(ゆう)はそのはたらきが動作となって現れることをいっている。「心に身は随たがう」も主体とはたらきになるのではないか。こうした考察は、禅との関わりの深さを感じる。
エ 表裏(ひょうり)
・表裏は兵法の根本、はかりごとであって、偽って真実を得る方法である。仕掛ければ相手はこれに反応するものである。これに乗ってくるのは、相手が仕掛けに動かされたことになり、手の内をさらしたことになる。逆に乗らないように乗らないようにしていることも、そうと分かれば動かされていることと同じ事になる。
・草むらを叩いて蛇を驚かすように、思いもかけない行動を取れば、相手は心を奪われて手元が疎かになるものである。機前の術、相手の手の内を探って勝つ手段である。
・内に隠して表さない見定め難い相手の機(気)をよく見て働くことを機前の兵法と言う。
オ 懸待一如
・懸待(けんたい)について
懸とは先の太刀を入れようとかかる事をいう。待とは軽率にかからず敵の仕掛ける先を待つこと。厳しく用心して居ること。
・身と太刀に懸待の道理がある。
身を敵に近くふりかけて懸とし、太刀は待とする。すると、身の懸が敵の先をおびき出して、勝つことが出来る。
・心と身とに懸待がある。
心を待にして、身を懸にすべきである。心が懸だと走りすぎて斬ろう斬ろうとするから負ける。心を待にして、身を懸にして敵の先をおびき出して勝つべきなり。逆に、「心を懸に、身を待に」の考えもある。これは、心は油断無く働かして懸とし、太刀を待にして人に先をさせるという方法である。身とは太刀を持つ手と心得ると理解できる。言い方は二通りあるが、極まるところは同じ心。とにかく敵に先をさせて勝つということである。
・敵懸のとき、我が立会の習いがある。
①目付に3箇所ある。
一、二星(にしょう)は太刀の柄を握った両拳の動き。
一、嶺谷(みねたに)は、右肘を嶺、左肘を谷という。両腕の伸び縮みのこと。
一、遠山(とおやま)の目付。組物(くみもの)の時で両肩先と胸の間をいう。
②太刀の使いと身構えに2つある。
一、遠近の拍子。遠きに近き、近きに遠きの拍子で、相手の気をまともに受けることを避けて、惰気を打つこと。
一、身の位、栴檀(せんだ)の心持ちの事。せんだん打ち込みのことで、双葉の心持ちで打ち込むこと。打ち込む太刀筋が並ぶことを嫌い、相打ちを避けるためのもの。
<ここの記述は理解しがたい。「せんだん」を「先断」の漢字に直すと「先」を取っての打ち込みとなる。「栴檀は双葉より芳しい」の「双葉」を引き出す言葉と解すると、双葉の苗の細い一本の茎のように、相手の太刀と自分の太刀が一本になるような、太刀筋の打ち込みとなろう。切り落としのような打ち込みか。或いは、「ふたば」を「二刃」と書いて、双葉の形のように、相手と自分の太刀が交差する状態に斬り込むことか。強く打てば相手の太刀をはじき、上から乗って切ることが出来る。家伝書ではこのように音を別の文字で表して、意味を分かりにくくしていることが多い。逆にこれが読む楽しみでもある。>
③立会で習うこと5つ、文字にしがたい。
これらは、身構えや太刀についてであり、立ち会う前に、心の下作りに専念し、良く相手の動きを確かめて、慌てふかめない様にすることが簡要である。上三つは「三学初学の門」でも述べられている。
一、拳を楯にすること
一、身をひとえになすこと
一、敵の拳を我が肩にくらべるべきこと
一、あとの足をひらく心持ちのこと
一、構えはいずれも相構えのこと。(他の箇所でも相構えで勝つことが述べられている。)
・敵が待のとき、立ち会う習いがある。
目付3箇所は、懸待共に同じ。特に、打ち込む時は嶺の目付に、斬り合わせ、組物のときは遠山の目付に注意する。二星は不断に離すことのない目付である。
・このように、「懸待」は相手に仕掛ける「懸」と、相手に仕掛けさせる「待」とがあるのだが、それだけではなく、身を相手に振りかけて懸になし、太刀のほうは待にして、相手との呼吸をはかることもあれば、心を待にして、身では懸をめざすということも、その逆もある。そのように「懸待」を多様に生じさせていく。いわゆる「懸待一如」とよばれる所以である。
・他の箇所でも繰り返し記されている。かかるときの心得として「かかり候時、懸待あること、身を懸に太刀は待に心得るべし」とある。「風水の声を聞く」の項では「上は静に、下は気懸に持つ。懸待を内外にかけてすべし。一方にかたまりたるはあしし。」と懸懸或いは待待にならないようにと述べている。
・参考として、懸待有(ゆう)の事(上泉信綱が柳生石舟斎に相伝した燕飛巻に)には
「懸待表裏は一隅を守らず。敵に随って転変し、一重の手段を施す。あたかも風を見て帆を使い、兎を見て鷹を放つがごとし、懸を以て懸となし、待を以て待となすは常の事なり。懸は懸にあらず、待は待にあらず。懸は意待にあり、待は意懸にあり」とある。有とは働きのこと手に有を持つとは、敵の働きを我が手の内に握り持っている心持ちで、この心持ちが出来てこそ活人剣が発揮できる。
・この項には、目付について詳細に述べられているが、別の機会に目付について考えてみたいと思う。「一眼、二足、三胆、四力」の第一であり大きなテーマである。
カ 三ヶ(さんか)心持ちのこと
三ヶは三見(さんけん)のこと。掛かる敵か、引く敵か、まつ敵か探るため、つけたり、かけたり、しかけたりして、敵に手を出させて勝つやり方である。
キ 色に就き色に随う
待なる敵に色々と仕掛けると、色が出るものである。その色に随って勝つ。色とは心の変化を言いい、二星の動きに現れる。
ク 二目遣い(ふたつめつかい)
能の言葉。待なる敵に表裏を仕掛けて敵の働きを見る時に、見るようには見ないで、見ないように見ること。ちゃらちゃらと盗み見ること。一箇所に目がとまっていると、大切なことを見過ごして仕舞いがちとなる。
3 所見
・初めに「兵は不祥の器」であると認めつつも、プラス面があることを論述して、将軍家兵法指南としての兵法の在り方を考察している。「兵法は人をきるとばかりおもうは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。」は名言である。
・至道を表現して、「ならいをわすれ、心をすてきって、一向に我もしらずしてかなう所が、道の至極也。習いより入りてならいなきにいたる者也」にいたっては、遠い嶺を仰ぎ見る思いになる。
・相手に勝つためには、相手を胸の内を見極めて、機を捉えることの重要性を述べている。機を捉えることを、機前の働きといい、見極めるためには、表裏をいたし、手字種裏剣(しゅじしゅりけん)の有無を見ると述べている。手字種裏剣は相手の動きを細かに見て、隠し持っている手の内を見極めるというほどの意で、活人剣では秘伝と述べられている。
「表裏」、「手字種裏剣」の言葉は、この後も多用されている。
・そして今回最も多く述べられているのが懸待一如についてである。斬られない間合に立ち、相手に先を打たせて、これに勝つ工夫として詳細に述べられている。参考になる。
・相手の動きを見極めるための方法・着眼は、ここでは、3つの目付、三ヶ、色に就く、二目遣いの項で述べられている。ここで見るとは目で見る事を述べているが、これから後になるにしたがい、心で見る「観」へと発展していく。
・下作の重要性については、この後も出てくるので注意されたい。
(つづく)