剣道に強くなるための名言・格言 Ⅳ
「風姿花伝(ふうしかでん)」の世界
文責 髙橋
「能」を極めるための秘事を世阿弥が一書に著し、一子相伝として伝えてきたのが「風姿花伝」(花伝書とも言う)である。稽古の有り様や心構えなど諸芸道に通じることから、「芸」を志す人にとって大切な書となっている。剣道に通じるところも少なくない。最近、新聞記事で感じるところが有ったので、改めて「風姿花伝」を読み直してみた。
<最近読んだ新聞記事で感じたこと>
4月の読売新聞に狂言師茂山千作さん(89歳)の話が載っていた。生涯剣道の修業に通じるところがあったので要点を紹介する。
「千作さんは4歳で初舞台を踏んだ。物心がついた頃から祖父の指導で稽古ばかりをしていた。台本は見ない。祖父のせりふを何回も復唱して覚えた。歩き方や舞も総てまねて覚えた。狂言は喜怒哀楽や人間の生き様などを観客に伝えるのに様式化された表現スタイルで行う。これを「型」と言うが自分勝手に作ってはいけない。
観客に伝えるためには外面の型だけでは決して旨くは行かない。内面の気持が伴わなければ表情は出せない。だから何遍も稽古を重ねる。すると自然に自分にあった表情が出てくる。
80を過ぎて足腰が弱った。そこで気づかれないように工夫をした。一瞬、体をためてから「ヤアーーツ」とひときわ大きな声を出すと、舞台ですばやく飛んだように見える。年寄りの芸だ。若い時には体が動いて器用に表現ができた型が、年をとるとできなくなる。でも、型を少し崩してやると柔らかさや味がでてくる。体がついていかなくなってから、かえって表情や「間」の取り方が自在になった。これが面白いところだ。」
これを読んでいて「風姿花伝」の世界だと感じた。
花伝書では、7歳の時から稽古を始めなければならないと言う。稽古は教えられたとおりに大事に大事に繰り返して覚えるという。勝手なことをするのは間違いだと強調する。歳をとったら無理な動作をしないで工夫せよとも言っている。
「風姿花伝」は冒頭に書いたとおり、世阿弥が「能」の修業の心得等を表した書であるが、能と狂言とは元々同じ田楽(でんがく)・申楽(さるがく)から発展したもので、千作さんの言葉が花伝書の世界だと感じたのも当然である。
<「風姿花伝」を読む>
剣道の書物でも花伝書からの引用がよく見られている。せっかくなので、よく引用される言葉を花伝書から拾いながら読んでいく。
風姿花伝(抜粋・意訳)
○ 第1章は年令に応じた稽古の在り方などについて書かれている。稽古は7歳(幼年期)から始めて、12,3歳(少年期)、17,8歳(思春期)、24,5歳(青年期)、34,5歳(壮年期)、45,5歳(初老期)、50有余(老齢期)と成長の節目ごとの稽古の在り方や役者(シテ)としての演じ方、心構えなどが親切に書かれている。指導者として参考になることが多い。また、自分自身の剣道の取り組み方についても考えさせられる。
第1章 年来稽古條々(年令に応じた稽古の在り方)
・この芸において、大方、七歳をもって初めとす。このころの能の稽古、必ず、その者自然としいだす事に、得たる風体有るべし。
7歳の頃から稽古を始めると良い。このころの稽古ではあまり細かな指導をせず、好きにさせた方がよい。自然の動きの中にそれなりの趣が有るものだ。良いとか悪いとかあまり言わない方がよい。厳しい指導をすると、かえってやる気を亡くしてしまい、後で伸びなくなってしまう。
舞台に立たせる時はあまり重要でない場面で、本人の得意とする技を演じさせると良い。
<小学校低学年の指導は悩ましい。指導者は褒め上手になれと言われているが、つい厳しく当たってしまう。悪いところを直すのではなく、良いところを伸ばすようにさせたいものだ。>
・十二,三の年の頃、能も心づくころなれば、次第次第に物数をも教ふべし、まづ、童形なれば、何としたるも幽玄なり。
12,3歳ころは能についてのわきまえもできてくるので、順序正しく色々と教えていく。まだ稚児なので何をしても可愛く華やかに見える。
この花は、誠の花に非ず。ただ、時分の花なり。
このころの見た目の美しさは本当の花ではない。時分(じぶん)の花-その時だけの花-という。この頃の稽古では、どのような動作でも容易に行うことができるが、一生の能を決める物とはならない。易しいと思う所作でも基本通りに大事に大事に稽古をさせなければならない。
<中学生になる頃は、心構えができてきて、教えることもどんどん吸収する。ここで大切なことは基本をしっかりと身につけさせること。すぐにできることは、すぐ忘れること。繰り返し繰り返し行い、苦労させて身につけさせるようにすると良い。>
・十七,八の頃、余りの大事
17,8歳の頃は、極めて大事な時だ。思春期を迎え、今まで持っていた2つの花(可愛い声と愛らしい姿)を失い、今まで好評だったものも、この頃には、演じていても見る人に感動を与えることができなくなって、大いにへこんでしまう。この時は、人からの評価など気にせずに、生涯の能を決めるのはこの時とばかり心に願をかけて稽古に励むようにさせる。そうしないと能はここで止まってしまう。癖も出てくる頃なので、これも正さなければならない。
<高校生の頃は、子供から大人への変わり目。人の目は気になるが、指導されても素直に従えない。自分自身がもどかしく、焦っている。大人への壁は誰もが経験する高い壁。個癖を修正する最後の機会。自己鍛錬と適宜の指導が両輪か。>
・二十四,五の頃、一期の芸能の定まる初めなり。稽古の堺なり。
24,5歳ともなると、一生の芸風が決まってくる時期に当たる。従って稽古も画期的となる。体も大人となって芸も上達してくる。この頃、人から上手と言われ慢心するのが芸の妨げとなる。
歳の盛りと見る人の一旦の珍しき花なり
この頃に上手と言われているのは本当の花ではない。若さから来る勢いと珍しさからくる一旦の珍しき花という。また、このころを初心の花という。
この頃になると、自分勝手な事をやりだすが、これは浅ましいことだ。いよいよ教えを素直に実践し、上手な人の話を聞いて、稽古に励むならば、時分の花は誠の花に遠く及ばないことに気づくであろう。人によっては時分の花に迷って、いずれそんな花が散ってしまうのを知らずにいる者もいる。初心というのはこのことだ。
<青年期はまさに体力・気力が横溢し、長足の進歩を果たす時。慢心を戒めて、先生の教えを素直に受け、個癖を直し、勝手を戒め、稽古に励むならば飛躍の基礎は確立する。>
・三十四,五の頃、盛りの極めなり。
34,5歳の頃が芸の盛り。この時に名声がなければ40歳以降は下がるばかりで誠の花を極めることはできないだろう。
上手と言われてもなお謹んで、今まで手探りできたことの意義を理解し、これからの修業の方法も見通しがついてこなければ、世間は認めなくなって来るであろう。
<壮年期を迎えて名望が与えられていないと、その後の芸の向上は難しくなるという。確かに40を過ぎると、身体の所作は新たな動きを拒否している。人に倍する稽古が必要である。>
・四十四,五の頃、能の手立ておおかた変わるべし。・・・・この頃まで失せざらん花こそ、誠の花にてあるべけれ。
44,5歳の頃になると、能の仕方も変わってくる。動きも見た目も衰えてくるので、無理をせず。良い脇のシテを持って、自分の動きは少なくし、花は脇のシテに持たせるようにする。自分の衰えを知って、押さえて演ずる能でも、人に感動を与えることができるのを誠の花という。
<茂山千作さんの言葉が重なる。私は、60過ぎても未だに自分を知らないで、怪我を重ねる愚かしさに情けなくなる。>
・五十有余の頃、おおかた、せぬならでは、手立てあるまじ。
50過ぎたら、「せぬ」の他に仕方はなくなる。それでも誠を得ている役者には、残る花がある。
<飛ばずに飛んだように見せる茂山千作さんの「せぬ」の技は、誠を得ている人と言える。さてどのように工夫をするか。>
○ 第2章は物まねについて書かれている。役者として演ずるために上は公卿から武家・庶民まで、老若男女はもとより、鬼神の類までどのようにしたらそれらしく映るかと、きめが細かい。ただ、能は花が大事。卑しさの出る様はまねてはならないという。
第2章 物学(ものまね)條々
・およそ、女かかり、若きシテの嗜みに似合う事なり。・・・・殊更、女かかり、仕立てを以て本とする。
女の姿を真似るのは、若いシテが似合っている。色々な職業の女の動作の特徴を捉えてそれらしくまねるが、それらしく見せるのはなんと言っても着こなしである。
<上品さもだらしなさも着こなしで表現できる。逆に言えば着こなしで人間が評価されてしまうことになる。剣道でも稽古着・防具の装着で実力が予想できる。日頃から気を付けたいものだ。>
・老人の物まね、この道の奥義なり。
老人のまねは至難の技だ。年功を積み重ね上手になった人でないと、どうにも似合わない。老人の立ち振る舞いを真似れば真似るほど花がなくなって面白くなくなる。花があってなお年寄りと見える工夫は口伝。老木に花の咲かんが如し。
<真似の難しい年寄りとは、誠を得たる老人なのだろう。中身のないものが中身が溢れている人の真似をすることは不可能である。いつまでも花のある老木になりたいものだ。>
○ 第3章は問答形式で能の神髄を明らかにしている。観客の心の引きつけ方、舞台の盛り上げ方、立会の勝ち負け、位についてなど興味有る内容となっている。
第3章 問答條々(問いに答えて)
・始むるに、当日に臨んで、まず、座敷を見て、吉凶をかねて知ること
始めるに当たっては、まず会場全体の状況をみて、その状況に応じた始め方を行って、観客の心を舞台に引きつける。それができたら能は成功する。
<状況に応じた方法についてはここでは省略するが、萬人の心、シテの振る舞いに和合して、能が幽玄(美しい)となる。剣道は美事な1本を競う武道であるという。競技者と観客が和合して、美事な1本に感動する。剣道の醍醐味はこの瞬間にある。そうした剣道をしたいものである。>
・能に序破急
序破急とは、能をよく見せるための流れの仕方。初めはゆったりとした動きで祝言などが良い。2番3番は得意とする演題を行い、最後は動きの速い出し物や泣かせる出し物とすると全体が締まる。
<剣道の試合運びとは異なるものの、昇段審査の立会では、この流れは審査員の気持ちを引きつける流れのような気もする。>
・勝負の立会の手立て
肝心なことは、多くの演題をできるように準備していて、相手が行った風体とは異なる出し物を演じることだ。華やかに対しては、靜に落ち着いて、詰めどころのある能を行うなどすれば、相手の技が優れていてもそうは負けない。とはいえ、出し物にも上・中・下がある。良い能を上手に演じる事が第1だ。
<同じ類は比較ができるが、赤と青とでどちらがよいかでは勝負にならない。大前提は多くの勝負手を持っているかどうかである。実力有っての勝負といえる。>
・名人なるに、ただ今の若きシテの立会に事あり。これ不審なり。
上手といわれている人が、若い人に負けることがある。これこそ、30以前の時分の花の力だ。花を失って古びた時に珍しき花に負かされてしまうのだ。上手と言われていた人も昔の名望だけを頼りにして工夫を怠っていては花を失ってしまう。これでは勝てない。逆に、工夫に努めている人は、歳と共に能は衰えてくるが、花は後々まで残るものだ。このような名人に対しては、いかなる若者も勝てないだろう。
・能に位の差別を知ること
誰でも稽古をしていけば、能の位は段々上げって行くのは普通のことだ。それなりに風格は備わっていく。ここに生得の位として長(たけ)(品格)というものがある。これとは別にかさと申すものがある。かさとは一切に亙る芸の幅が広いことで、ものものしく勢いのある形を言う。生まれついた幽玄なるところは位で、幽玄ではないが稽古を積んで長(たけ)のあるシテもいる。
よくよく公案して思うに、幽玄の位は生得のものか。長(たけ)たる位は劫入りたる所か。心中に案をめぐらすべし。
<我々としては、生まれついての品格を問われても、いかんともしがたいが、ここでは努力して品格を向上させることは可能なようだ。正しい姿勢や所作に品格があらわれてくる。かさは剣道で言えば強さのことか。剣道でも品格の有る無しは容易に分かる。先ずは動作から正して、次いで、心も正しく保持していきたいものだ。>
・能に花を知ること・・・・この道の奥義を極むる所なるべし。一大事とも、秘事とも、ただ、この一道なり。
(問)能では花を知ると言うことが肝要だと言うが、どうしたらよいのか。
(答)そのことが奥義を究めるということだ。時分の花や、幽玄の花などテクニックで表現される花はやがて散ってしまう。ところが、誠の花は、咲くという理由が有るので、思いのまま、散ることはない。その道理は別の機会に教えるが、7歳より始めた稽古の数々、修練を尽くし、工夫を重ね、自ずから誠の花の散らない道理を悟るべし。稽古で修めた数々の技と心、即ち花の種となる。花の心を知りたいと思うならば、まず、種を考えたらよい。花の心は、種より生じると。
心地(しんじ)に諸々の種を含む 普(あまねく)雨にことごとく皆(みな)萌(きざす)
頓(とん)に花のこころを悟りおわりぬれば 菩提(ぼだい)の果おのずから成る
○第4章は申楽の歴史。第5章は奥義について、第6章は能を書くことについて書かれているが省略する。
○第7章は別紙口伝となっているが、花伝書とは別に相伝されたものと考えられている。
花について、物まねについて、因果についてなど記されている。原文を味わって欲しい。
・花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり。
・能に萬づ用心を持つべき事。仮令、怒れる風体にせん時は、柔らかなる心を忘るべからず。
・秘する花を知る事。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず、
・人の心に思いもよらぬ感を催す手立て、これ花なり。たとえば、弓矢の道の手立てにも、名将の案・計らいにて、思いのほかなる手立てにて、強敵にも勝つことあり。
・因果の花を知ること、極めなるべし。一切、みな因果なり。初心よりの芸能の数々は、因なり。能を極め、名を得ることは果なり。しかれば、稽古するところの因おろそかなれば、果をはたすことも難し。